2013年3月15日金曜日

図書館通い

本日の担当は銀座校の五十棲です。

知識欲、とでも言うべきものが、ある日、急におさまりがつかなくなって図書館に通い始めました。

興味の向く先は様々。
絵画技法の本に思った程には集中できなかった一方で、美術史は面白く、しばらく関連する本を連鎖的に読みました。料理や掃除といったすぐに現実に活かせるものにも、文明論、読者論や人称論、というような世のどこにあるのか判りづらいものにも手を伸ばしています。

うれしいのは、それまで知らなかった書き手や分野に出会うこと。ひとたびこれは、と思うものを見つけると、あれもこれも読みたいと逸る気持ちを抑えて、遅読の私は一冊ずつ手にとります。
ただ知らない音楽を聴くように、様々な道を通り過ぎるように本を開いては、閉じる。心地好い音楽もあれば息詰まる音楽もあり、ややこしい道も、すいすい歩ける道も。
その繰り返しの中で、少しずつ充足していく気がします。
とはいえ、読み終えると、おそらくは、忘れていく部分の方が多いのですが…。記憶どころか、理解できているかも定かではありません。


木陰の沈丁花も開く準備を始めた



知識欲と書きましたが、それが満たされた果てには何があるのでしょうか。
本を読むようになって気付いたのは、そもそも自分の「興味のある分野」がいかに狭かったかということです。図書館通いを始めて間もなく、書架の間で、検索端末の前で、自分の「興味」の持ちふだはあっという間になくなりました。


いま関心があるのは数学。 数字に弱い私から最も遠い分野で、関心があります、なんてここに書くのは躊躇われるし、とてもはずかしいですが。



ミモザはすでに盛り

物事には理由がある、ということを最近考えるようになりました。ぱらぱらと、点で存在しているかに見えていたものが、ある時線として繋がり、ぎゅっと面で押し出すように物事を動かす。理由の果ての必然。結果。ではそれが正しいのか、などと。
数式の向こうに「解」があるということにひかれます。絵にも日々の生活にも、明確な答えは見付かりづらいから、といったら耽美的に過ぎるでしょうか。

でも数学のお勉強はこれからなので、難しいことは聞かないで下さいね。

大好きなすずかけの木

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