長く、その存在も忘れていた。そもそも砂時計というもの自体を忘れていた。
細長く中央のくびれたガラス管を、木製の上下の円盤、二本の柱が支える形。ガラスと砂は問題がなさそうだ。木の部分の塗装が劣化して、触ると手につく。全体にやすりをかけて塗料を落とし、新たに木製品用のオイルを塗った。
少しでも手をかけると愛着が湧く。逆さにして測ると3分計だ。紅茶を煎れる時に使うことにした。
昔の人は時の流れをどんな風に感じ取っていたのだろう。
日の出や日の入り、星空の動き。もっと短い時間は?
水時計というのを見たことがある。一定の速度で水が落ちる仕組みで、考えてみれば砂時計に近い原理だ。そのかわり見た目はずっと大掛かりで装飾的だった。持っていたのが、あるいは作らせたのが為政者だったからだろうか。
地震の揺れの長さを「道二町ばかり徐(おもむろ)に歩く間」と表現している古文書があるそうだ。
近衛基煕なるお公家さんの日記で、時は元禄十六年。西暦1703年。分や秒の感覚、というか時間単位の無い時代のことである。二町は 約218メートル。今の不動産屋さんの広告にある「駅歩1分」は80メートルなのだそうで、とすれば218メートルはおよそ3分間。
「七、八町ばかり歩くほどの間」と記録された地震もある(四年後の宝永地震)。
ぶっそうな話だけれど、あながち大袈裟な表現とも思われない。一昨年の揺れの長さを知っている私達には、他人事ではない。
蝉時雨も少し前のことに感じる |
連綿と書かれた古筆を見ると、これでも時が測れるかななどと考える。経典の一文字、あるいは和歌集の一首を書すのにどのくらいの時間がかかるか。一字毎の画数や気持ちのありようで揺れ幅は有るだろうが、日常的に書く人ならば量れるかも知れない。
しかしその時間の静かなこと 。
お茶を煎れる時間を味わえる。
その気になれば書の手習いも詠歌も自在。絵だって、描ける。
いまが、ありがたい。
ピンぼけの茶柱 |
銀座校講師 五十棲さやか
教えられた本 磯田道史著『歴史の愉しみ方 忍者・合戦・幕末史に学ぶ』
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