水に挿しておけば咲きますよ、と言われて、60㎝ほどのそれを花瓶に入れておいた。枝の曲がりは美しいけれど、見た目の地味な、褐色の枝は生けるより入れるが正しい。ぱらぱらと付いた蕾も同色で、目立たない。やがて室内の風景になじんでしまった。
季節外れの暖かさとなった三月初め、細長い形だった蕾が突如としてむくむくと円くふくらみ、若草色になってきた時は心底感激した。えらいねえ、と声をかけて可愛がる。
やがて蕾が萼と花とに分かれ白い花弁が見えてくると、一枝の存在感はいや増し、部屋でひかりを放つかのようになった。
本当に、咲いた!
しばらくして気づいたのは、開いた花の色が見慣れた桜のそれよりも白い、ということだ。清楚な佇まいでかわいらしいけれど、赤みが無いのは何故だろう。
思い出したのは、遠い昔に読んだ教科書の中の一文だ。
大岡信さんが染織家志村ふくみさんの工房で美しい桜色の布に出会い、尋ねる。
『この色は何から取り出したんですか』
『桜からです』
大岡さんは桜の花びらから取った色かと思う。しかし染織家は桜の皮から取ったのだと告げる。
「桜が咲く直前の山の桜の皮」からしか取れないと。
「桜が咲く直前の山の桜の皮」からしか取れないと。
その文章に中学校の教室で接してから、ずいぶんになる。でも染織家という仕事もあるんだ、という発見とともに、桜は木全体で桜色を作っている、という驚きから強く印象に残っていた。
最近になって知ったことだが、桜に限らず、多様な木々が幹の内に桜の花びらのような色を持っているらしい。志村ふくみさんの著作によれば 、「殆どの樹液はうすもも色」で、「本質的に樹の色はもも色だ」という。
固い蕾の内に幹から切り離されてしまった枝は、その「命のもも色」をもらえなかったのだろうか。ふしぎで深淵な、自然界のりくつ。
いま、ひと仕事終えた桜の木は、休む間も無く緑の葉を繁らせ始めた。
銀座校講師 五十棲さやか
参考文献 中学校『国語2』より大岡信「言葉の力」光村図書出版
志村ふくみ著『母なる色』求龍堂
親桜の今年の勇姿 |
0 件のコメント:
コメントを投稿
注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。