2013年10月13日日曜日

皿の中

何を食べても塩からい。
もともと外食はあまりしない。食いしん坊だから、たべたいものを自分で好きなように料理する方が都合が良い。それがこの頃は少し変わってきた。
人任せも、いいかなと思うようになった。まあ有り体に申さば、暑さの中では調理が億劫だ。この夏から初秋にかけて、外食しないまでも、できたものを買って食することが増えた。

自分で食材を買うと、どうも同じようなものに手を伸ばしてしまう。旬を追って移り変わりはあるけれど、これは買わないというものは、何があっても、半額でも増量中でも、買わない。調理法の幅もたかが知れている。外食や中食ならば、意外な食材や美味に出会えるはずだ。食いしん坊は、期待する。

しかしである。どうもおいしくない。何を食べても塩からいか、ぱさぱさしているかどちらかだ。これは我が人生がぱさぱさで、世間が軒並みしょっからいのかと本気で思う。



こんなパッケージだと買ってしまう

母が料理教室に行って、冬瓜の煮物を習ったの、と言っていたのは夏の終わりの頃だった。ははあ定番料理ですな。お出汁を含ませて、ていうあれでしょ。
しかし中に聞き捨てならない話があった。
冬瓜の、皮に近いあたりの薄緑色を引き立てるために、青物を添えるんですよ、と教わったというのだ。青物はあるものでよく、その日は星形のオクラが載っていた。イメージして下さい、淡い黄緑がかった冬瓜に、更に濃い緑の鮮やかなオクラが隣り合っています。お互いの色をきれいに見せています。これはどこかで聞いたことが…。そう、画面の上で輝き合う、同系色の法則と同じだ。
さらに葛でとろみをつけた餡には海老を入れる。湯がいた海老は朱色をしていて、冬瓜とオクラ、二つの緑との対比があざやか。緑と赤は補色。補色はお互いに引き立て合う特性がある。


訳知り顔で教室でしている話が、姿を変えてよそから聞こえてきた。なんだかやけに感心してしまう。「画材が変わっても色の持つ特性は変わりません。」ああ、えらそうに。何でここに気が付かなかったんだ!

以来、器の中身の彩りが気になり始めた。
青物は二種以上あわせると深みがあってよろしい。茄子と銀杏の補色はややきついが和服めいた取り合わせ。黄色をパプリカに変えるとスパイスの香ってきそうな、鮮やかな洋装となる。さつまいもの皮と身の対比ならばやさしい。ブロッコリーと人参は明快だ。サーモンの付け合わせに赤いものはどうだろう。皿はやはり白か、暖色のグレーか。だんだん食欲と制作欲が湧いてきた。



たたみと染付の器


子供の頃から家には染付の皿が多かった。今でも白地に青の皿は洋食にも和食にも、メインにもデザートにも万能に対応してくれる気がする。藍色の上で料理は、時に白い皿に載ったそれよりも美味しそうに見えたりする。まあそれは、個人的な条件反射かも知れないけれど。
和服と洋服では色あわせの理屈が違うように思う。料理でもそうだろうか。 きょうは風が強いから、夜は星がきれいそうだなと思う。何を皿に装うか。

銀座校講師 五十棲さやか


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