前回のブログで、立石の人間模様を紹介していくことを決めたのだが、
立石百景を綴るにあたって、まずは地名の由来となった『立石様』のことを
ここで書かずばなるまい。
【立石】というのは、道しるべや墓標などとして立てた石の意味があるが、葛飾立石にあるその石は、1400年頃に文献に登場、
江戸時代には『冬に縮んで夏に膨張する』珍奇なものとして噂の石を実際何度か見に行ったが、
子供の遊ぶ姿を一度も目にしたことのない小さな公園の奥に鳥居と小さな囲いがあり、 その真ん中に、高さ2㎝くらいの申し訳程度頭をのぞかせた石がそこにある。
もともとは道しるべとも古墳とも噂されるこの石は、
『江戸名所図会』の挿絵を見る限りでは、現在のものよりも大きいが、さらに地上高く露出した “立っている石” であったらしい。
1800年頃、住民がこの石の深さを確かめようとしたが、いくら掘っても底が現れず、
さらには関係者の間で疫病が発生したため計画を中止し、祟りを鎮めるために、
立石稲荷神社の立石様として祀ることとなった信仰のある石だが…
なぜ小さくなったのだろうか?
調べによると、土砂の堆積や地盤沈下のほか、明治以降、弾よけの御守りとして削られたことで、現在のような姿に変わり果ててしまったという。
人物を描く私が、初めて生命以外の魂、“神” を具現化してみた。
※God of a standing stone 11‐Ⅰ (ボールペン画)
おそらく古墳時代から永きにわたり、立石住民に禍福を与えてきたであろう彼のその髪は長く、 “神” のイメージ色のひとつである白色に輝きを放つその究極的な存在は、
弾よけとして削られ、河童の皿のような姿にされたことで、『もう好きにして』 と、
ヤケになってワインをかっくらう、静かな呑んだくれと化したか。
この “もののけ” と、一杯呑んでみたくなった。
講師 平賀 太郎
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