2016年2月5日金曜日

画集の話



こんにちは
銀座校講師の馬場俊光です。

最近、自分の作品を収納するために押し入れの整理をしたのですが、学生の頃から集めていた画集がどうしてもスペースの一角を支配してしまうため、処分するべきか暫く悩んでいました。

大抵の画集は印刷に気を使っているので、紙が厚めで装丁もしっかりしており、サイズも大きめのものが多い。そのため物理的に重く、部屋で場所が取られるのは仕方ありません。購入当時の思い出も手伝って愛着があり、今まで、スペースを本のために確保してきました。

しかし、だからと言ってこのままでは作品の安置場所がなくなってしまうので、眺める機会が減ったものは思い切って専門店に古本として売ることに決めました。(サヨナラ)

しかし、もしインターネットがない時代だったら話は変わっていたかもしれない。

というのも、ネット(特に英語で)画像検索をすると画集とは比較にならない程、高画質で作品を閲覧できるサイトがあり、かつて自分が穴のあくほど見ていた画集、特に有名な作家の作品に関しては調べればいつでも、どこでも閲覧することができる。そんな環境が当たり前になった今の時代が、本の処分を後押ししてくれたからです。

画集購入に頼らずとも興味の赴くままに作品を見て調べることができるなんて、便利な時代になりました。


少し話がそれます。

私が中学生の頃、世にネット環境はありましたが、勿論、現在の通信量とは比較になったものではなく、画像を検索するということはありませんでした。
その頃の私はルネサンス期の巨匠、いわゆるダビンチはミケランジェロなどの素描、デッサンが大好きで、美術室や図書館にある大型の画集、素描の系譜など資料を見ながら模写をしていました。
できたら家に何冊か欲しいと思ったのですが、それら本の大きさと重量により諦めました。

でも現代ではそのような悩みを抱えている方は、ほぼいないのではないかと思う(学術的に文献、資料として使いたい場合は別だろうけど)。ネットで高画質画像さえ見つければ自分の好きなサイズで印刷できるし、PC画面を見ながら模写だってできる。こんな環境が当然のようにあると、若い作家志望者は画集を購入するのだろうかと疑問にすら思えてしまう。(勿論、書籍で見ることのよさはあるが)

書籍の状態で持っていると所有欲が満たされるけど、現実的に広い収納スペースをもっている作家さんは少ないだろうし、今後ますます紙類の情報は電子データに移行してゆくのだろうなあと、今回の整理整頓で思いました。


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